遍路5 1日目 (累計26日目)~8日目 (累計33日目)
歩行距離 205,5km (累計922,8km)
歩行時間 56時間40分 (累計235時間15分)
内子駅からしばらく歩くと、無料遍路宿がありましたが利用する人がいないのか閉ざされていました。
だんじり岩 十畳ほどの大きい岩。弘法大師が四国八十八巡錫の時、あまりの空腹と疲労の為、自分の修行の足りなさに腹を立ててこの岩の上で「だんじり(じだんだ)」踏んで我慢されたそうです。
一里木の前にある近世土佐街道(三坂越え)
説明・・・宿から久万高原町へ。岩屋寺と大寶寺を参って午後、またこの場所に戻って、三坂峠を登り、浄瑠璃寺に向かいます。
河合のへんろ宿・・・・当時、15件のへんろ宿があり、春の彼岸頃は一晩300人からの泊客で賑わったそうです。お遍路さんは、河合の宿に荷物を置き、岩屋寺を打ち終わると来た道を引き返します。これを「打ちもどり」といい、珍しい参拝コースになっています。
八丁坂・・・昔の人は、急な坂道を修行のへんろ道として選び、弘法大師が開かれた岩屋寺は霊場中最も修行に適した場所であるから参道は俗界の道を行かず峻険な修行道として八丁坂を「南無大師遍照金剛」を唱えて登ったという事です。
逼割行場・・・開山の法華仙人が弘法大師に通力を見せた跡。岩の裂け目を鎖と梯子で登り、頂上の白山大権現に詣でます。
逼割禅定への扉の鍵とお札を納経所で受け取り、白山大権現に詣でる予定でしたが、危険な為、現在は中に入れませんでした。
岩屋寺を囲む岩峰は数千年前は海底にあったものが隆起し、侵食されたもので、凄く迫力があった。本堂を囲む岩にある数々の穴の他に大師が掘ったとされる穴禅定という洞窟もあり、中に入ってみたが、なにしろ奥深い穴で、足元も見えず怖かった。
芭蕉50回忌の塚・・八十八か所には芭蕉塚がいくつかあるがその中で一番古い(1743年)
43番札所から44番札所の大寶寺がこれまでの行程で一番きつかった。距離的には、37番岩本寺から38番金剛福寺に次ぐ2番目の長さで約85キロだが、いくつもの峠を越えなければならない厳しさがあった。
桃李庵から国道33、鍋割峠を通り、久万街道をしばらくしばらく行くと山間の歩きやすい道に出てきた。
網掛け石・・・弘法大師が大きな石を網に入れて担い棒で担っていたところ、担い棒が折れて山へ飛んでいきました。石の一つは川に、もう一つがこの石で表面に無数の網目が付いていました。
仏足石・仏手石・・・境内には様々なご利益石があります。仏足石は裸足で踏むと健脚や交通安全に。仏手石は知恵や技能にご利益があります。
山門の天井のカラフルな天井絵
閻魔堂にある極楽の道と地獄の途
極楽の道は丸みのある石が地獄の途は尖った石が敷き詰められていた。
福授地蔵 一つだけ願いを叶えてくれる。閻魔堂前に孝行竹があり、家庭円満の御利益があるということで探したが、境内の見取り図にも閻魔堂は無く、孝行竹は分からなかった。
踊念仏の開祖、空也上人が説法した寺で、中学校の教科書に載っていた空也上人の像が本堂にあるらしい。
境内は市の景観樹林保護地域に指定されていて緑が美しかった。
仁王門にかけられた草履・・4年に一度掛けかえられる。
訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)前の子宝石・・安産祈願する人は石を持ち帰り、無事出産を終えたら二つにして返すそう。
三重塔・・本堂、鐘楼、護摩堂、訶梨帝母天堂、銅鐘などと共に国重文
衛門三朗・・強欲な庄屋、衛門三朗が遍路の末、弘法大師の前で罪をわびたという。
道後温泉前のからくり時計・・3時前に着いたのでからくりを見る事ができた。
道後温泉本館・・なかなか立派な建物に感動。
松山市内の一般道を多く歩くコースなので、46番札所から51番札所までお参りできた。しかも初めての道後温泉、宿泊所も初めてのゲストハウスで私達以外は外国から来た人ばかりでキッチン、ダイニングは共有して、色んな所からきた宿泊者が一緒に会話を楽しんでいた。せっかくだから温泉に入り、観光案内所で教えてもらったお店にご当地グルメ鯛めしを食べに行った。最高に美味しかった。
何しろ境内が広く、歴代天皇とのかかわりが深いお寺。県下最古の句碑の芭蕉の柳塚がある。
八十八か所で最古の銅製の納札が保管されている。本堂の中の龍の彫り物を見るのを忘れていた。
圓明寺の参拝を終え、なだらかな下り道にあるマンホールに子規の俳句があった。後はひたすら宿泊するホテルへ。愛媛に入ってお遍路休憩所は極端に少なくなり、接待所は全く無かったので接待所の表示を見た時、思わず喜んだが、近寄ってみると、椅子も無く石で作った小物を売る無人販売所になっていて、ガッカリ!!菊間町に入ると、製瓦会社が道沿いに何件も続いていて、かわら館やかわらパークなどあって瓦つくりが盛んな事が分かった。ホテルはボートを所有している人が多く利用しているようで沢山のボートが保管されていた。
延命寺に行く途中にあった天水瓶のある旧大庄屋
江戸初期、徳川方に味方した大庄屋、井出家はその功績でわらぶきの屋根を瓦にかえ、防火用として天水瓶を置く事を許された。その後、松山藩主の参勤交代の時は本陣に、昭和には、役場、農協、漁協にも利用されたらしい。
今治城から譲り受けた山門
国道沿いの立派な山門・・広目天(西方) 増長天(南方) 多聞天(北方) 持国天(東方)
なかなか立派で迫力がありました。
大きな燈籠がひときわ目立っていました。
足の不自由な少年が歩けるようになり奉納した箱車
本堂の両脇には仏足石があり、足にご利益がありそう。
今治市の街から仙遊寺に向かう道は山の遍路道。頂上に向かう途中、仁王門で金剛力士像に迎えられ、更に続く九十九折の参道の随所に観音様や大師様の石像があり、急な坂道に折れそうな気持を元気づけてくれた。参道を登りきると修行大師像のまわりに八十八か所の本尊の石像があり、ほっとした。仙遊寺には、宿坊があり、温泉も利用出来てホールから今治市が一望でき、これまでの疲れを拭う事が出来た。
翌朝、6時からのおつとめの後、本尊の千手観世音菩薩の写真を撮らせて頂いた。
仙遊寺から五郎兵衛坂を下り、国分寺へ。願いを込めて握手すると願いが叶う握手修行大師、祈りながら壺をなでるとどんな病気でも治る薬師の壺、前掛けをもって帰ると願いが叶う可愛い七福神があった。
最後の宿泊地・小町温泉しこくやに着く頃に雨が降り出し、夜中も雨の音。横峰寺への遍路道は中山川の水量が川幅いっぱいだったら無理と言う事だったが、幸い川底が見えていたので予定通りのコースで行った。湯浪の登り口でテント泊の設備があり、一人出発の準備していた。横峰寺への遍路道は川が音をたてて流れていたり、かにさんが忙しく行き来していたが、覚悟していた程の悪路では無かった。約3時間で横峰寺に着き、山門をくぐると、まるで別世界。しゃくなげの花の山に感動!最高に素晴らしかった。
横峰寺から下る事、約3時間。西条市が見えてきた時はほっとした。香園寺は想像もできない位大きな近代的建物(大聖堂)。巨大な建物なのに柱が一本もなく、本堂と大師堂を一緒にしたかんじで、本尊の大日如来の横に大師像も安置されていた。
国分寺の掲示板に「宝寿寺では納経できないので香園寺の第二駐車場でするように。」とあったのでまだお参りしていない宝寿寺の納経をここですませた。
優しい柔和な姿の観世音菩薩
宝寿寺でも納経できる事が分かった。八十八霊場の協会によるいじめがある事が分かった。宗教協会であってもどろどろしたものがあるんだ。
優しい観世音菩薩様が悲しんでいるようにみえた。
成就石は金剛杖を持って行かなかったので試してみる事が出来ませんでした。
くぐり吉祥天は福を授ける神とされているのでくぐってきた。
御滝不動尊 本当は一円玉を投げて岩肌に張り付けばご利益があるという事ですが、難しそうなので投げないで張り付けてきました。
今回の区切り打ちは心身ともに厳しい巡礼だった。だからこそ、自分自身の修行にもなった。
何はともあれ弱い自分を嘆くだけで無く、出来る範囲で努力し、頑張り続けたい。さあ、次も頑張る!!!