遍路6 1日目(累計34日目)~9日目(累計42日目)
歩行距離 245.7 km (累計1168.5 km)
歩行時間 63 時間 10 分 (累計 298 時間 25 分)
歩き遍路最終回のスタート地点は伊予西条駅。伊予西条鉄道博物館が駅に隣接してありました。少し興味はありましたが、今回は見学している余裕はないので只管、宿泊地に向かって36キロ程歩きます。途中、西条名水がありましたが、車道の反対側にあったので飲まずに我慢!!ホテル近くにやっとお遍路休憩所がありました。
へんろ道の道しるべと
四国八十八か所めぐりをする人の為に作られたもの。中之庄からは1丁ごとに建てられています。約200年程前からつくられていて、中でも生涯に280回もめぐった中務茂兵衛さんが建てたものが8基あります。
山門に梵鐘が吊るされていて、鐘を撞いてから境内に入りました。境内には「これでこそ 登りかいあり 山桜」の句碑が手水の傍にありました。
八十八か所中最も高所にある雲辺寺に向けてひたすら登ります。
お小屋倉跡
土佐の国主が参勤交代の時、休み場がこの先にあり、その時の組み立て材料が倉に格納されていたそうです。
只管、山道を登っていきます。
八十八か所中、最も高所にある雲辺寺にやってきました。境内も広いしなかなか迫力もありました。
おたのみなす・・願いを込めて腰かけると叶う。
手前のなすの穴をくぐって座るとさらに効き目があるらしい。
マニ車・・・マニ車にはお経が彫ってあり、中にお経が納められていて、手でまわすと一巻お唱えするのと同じ功徳があるといわれています。
大師乳銀杏・・・昔、乳の出ないお母さんの為に弘法大師が、銀杏の苗を植え、乳が出るようお祈りをし、木の幹を削り煎じて飲むと乳が出るようになったそうです。
子育て地蔵の後ろにある木が銀杏です。
等身大の五百羅漢
雲辺寺から大興寺にかけて、かなり急な下り。眼下に街が見えてきました。途中、紫陽花が綺麗でした。香川県に入ると一面、大きなネギ坊主を付けた背丈程の葱畑。初めて見る光景・・後で聞いてみると葱の種を取るための葱畑と言う事でした。
仁王門の金剛力士像・・・運慶作らしい。
七日灯明・・・願いを書いた真っ赤な蝋燭を7日間灯して祈願する
大興寺から神恵院に向かう途中、花がいっぱいついた大きなサボテンの木?が。
神恵院と観音寺の山門
神恵院本堂の鐘・・・とても綺麗だった。
観音寺の鐘楼・・・彫刻がとても綺麗だった。
仁王門・・円柱の珍しい鎌倉時代の建物。切妻造りで八脚門。
本堂・・鎌倉時代の建物。寄棟造り本瓦葺、屋根の線がなだらかで美しい。
五重塔・・明治末期に建立。寺のシンボル。
馬の像・・本尊の馬頭観音にちなみ、2頭の馬の像がある。
108の階段・・108には3つの意味があります。①煩悩を落とす。(古来、インドでは108には無数にあるという意味)②1年を表す。(月・・12 春分冬至などの季節指標・・二十四節季 古代中国の季節方式・・七十二候)合計が108に。
③四苦八苦を落とす。4×9+8×9=108という説明がありました。
阿弥陀三尊像・・大きな岩に阿弥陀様が彫られていました。
太子堂・・堂内で参拝
讃岐遍路道・・・71番札所から72番札所をつなぐ遍路道で石像物もあります。
曼荼羅寺と出釈迦寺に行く道に枇杷園があり買って食べました。
捨身ヶ嶽遥拝所・・ここで念仏を唱えると境内から50分程上った先の捨身ヶ嶽禅定参拝と同じご利益があるという事でここでお参りしました。
右端が甲山寺ですが、すぐ横の山が採石場なのか大きく抉れていたのがなんか怖かった。
五重塔・・・東院にある高さ43mの五重塔。
雲辺寺の等身大の五百羅漢も素晴らしかったが善通寺の五百羅漢も塀沿いにずらーっと並んでいてなかなか見応えがあった。
大師と父母像・・・大師誕生の地で御影の池には弘法大師の前に父・母の姿も。
善通寺の宿坊 ・・宿泊者が少なかったので広いお風呂も独り占め出来て、良かった。
願供養念珠・・願を掛けながら引いて回すと願が叶うという事です。
思いのほか大きな音が出たのでびっくりしました。
衛門三朗が弘法大師に謝罪にている像・・石手寺にもあったが、また、違った姿勢で謝っている。
観音様・・・参道沿い、本堂の脇、裏門に四国三十三か所、四国八十八か所など日本全国の観音様およそ255体が祀られています。
釣鐘と龍神様・・江戸時代、鐘が割れて鳴らなくなった時、大阪~お遍路に来ていた鋳物師が鏡を入れて造りなおしたところとても良い音色で鳴り、その音色に誘われて龍神が現れたという伝説があります。
山門のかわりに立つ赤鳥居
崇徳上皇の御霊を慰めるために建立された白峯宮
松の枝が横に伸びる仁王門・・・特に愛媛、香川県の一般の住宅の玄関に松を這わせているお宅が多いのも盆栽通りがあるのも無関係ではなさそう。
弁財天・・香川県にはさぬき七福神があり、国分寺の七福神は弁財天で美・得・福にご利益。
白峯寺に向かって遍路ころがしといわれる遍路道を登って行くと眼下に香川県らしい光景が。
摩尼輪塔と下乗石・・摩尼輪塔は苦しい仏道修行の中でも特に、最終の位を表す「摩尼輪」にちなんでこのように呼ばれています。塔の下に「下乗」と書いてあり、長い遍路道もやっと聖地に近づいたことを教えています。下乗とは、ここからは、聖地であるからどんな高貴な人も乗り物から降りて自分で歩いて参拝しなさいということらしいです。
七棟門・・左右の塀を合わせて七棟あります。
天井の燈籠が綺麗でした。
山門・・大草鞋は境内側にあるのが殆どだったがここではなぜか外側に。また、太子堂や本堂にも一度下ってから上るという独特なものでした。
牛鬼・・・牛鬼伝説で有名と言う事で牛鬼を探していたが諦めかけていたころ、こんもりとした茂みの中に見つける事ができた。
根香寺のすぐ傍にある休憩所・・・テーブルにはハーブティーと子供たちがお小遣いを出し合って接待の為に買ったお菓子がありました。暑いし、お腹もへっていたので感激しました。休憩所の後ろにはへんろ小屋もあります。
女性専用の無料遍路小屋・・・中を覗かせてもらうと香川大学の学生さんが中心となって内部改修されたらしく、小ざっぱりとして気持ち良く過ごせる空間でした。
盆栽通り・・・一宮寺に行くまでの間、盆栽を栽培している所が多くありました。
住宅街にある風格ある山門
太子堂の天井に釣り燈籠が下がっています。
地獄の釜・・・心がけの悪い人が地獄の釜に頭を入れると抜けなくなるとの言い伝えがある。
蓑山大明神・・・狸太三郎を祀る
平な山の上に屋島寺があります。(八栗寺から)
五剣山・・境内の背後に今は4つになった五剣山が見えます。
多宝塔・・・朱色が鮮やかで周りの緑の木々とのコントラストが綺麗だった。
菩提樹の花・・・ちらほら咲き始めていました。
八栗寺から志度寺へ向かう途中の源内通りには平賀源内先生遺品館、平賀源内先生旧邸があり、小学生が描いた絵が所々に掲示していました。
大師伝説の一場面が描かれた額
静御前剃髪塚・・・静御前が得度した際、剃髪した髪を埋めた塚。
長尾寺経どう・・経文を埋納保存施設で、鎌倉中期から各地で作られるようになったらしい。
高地蔵・・台座の上に座り、約4mの高さがある。
長尾から大窪に向かう遍路道にはこのほか弁慶の馬の墓や道標など多くみられた。
前山ダム建設に伴い湖底に沈む事になった鳥居と磐根橋の銘石・・・遍路道に安置された
女体山と言う名前にはふさわしくない険しい登りでした。
女体山山頂・・山頂に登ると大窪寺方面から上ってきた人に会い写真をとってもらいました。下りはなだらかでほっとしました。
大窪寺の山門・・ついに結願です。
これまでの霊場では本堂、太子堂で般若心経をあげ納経をして30分ほど滞在していましたが、大窪寺では70分ほど過ごしました。
香川県からついに一番札所のある徳島県に戻ってきました。
大窪寺から1時間程歩いたところから最後の宿泊地までの2時間半程、私達を先導してくれた犬です。
梅雨入りしたばかりのせいか、ここでも宿泊者が少なくお風呂を独り占めできてこれまでの疲れもとり、最終日を迎えました。
個人の庭の一角を利用した休憩所・・携帯の充電サービスまでしていました。
霊山寺に近づくにつれて遍路標識も増え、お遍路1日目にお参りしたお寺の前も通り、足取りも軽く?なります。
霊山寺の山門・・懐かしいお遍路さんの人形が以前と同じように迎えてくれました。
お礼の般若心経を唱え私達のお遍路の旅は無事終了しました。
区切り打ちも最終回になりました。今回は愛媛県から香川県、徳島県と3県に跨ってお遍路します。愛媛県では蜜柑畑より、柿畑が多かったのは意外でした。香川県に入ると枇杷畑が多く、丁度収穫時期でもあったので食べる事が出来ました。勿論、うどんも毎日のようにいただきました。盆栽通りがあり、立派に仕立てられた松や盆栽の松がありましたが、国分寺の山門に這わせている立派な松を思わせるような松が愛媛県や香川県のお宅に多い事も八十八霊場を大切に思う四国の人の思いがあるように思いました。八栗寺の菩提樹の花も丁度、開花したところをみられて最高でした。私達の遍路の最後に大窪寺から宿泊地まで犬が先導してくれたことも無事にお遍路の旅を終える一助となっている事にお大師様のお導きのお蔭を頂いていると感謝しました。